延岡の観光地

西郷隆盛宿陣跡資料館 NHK大河ドラマ西郷どん(せごどん)


明治10年に西南戦争が勃発し、西郷隆盛率いる薩軍は政府軍との攻防戦が続きましたが、少数の兵力では勝ち目はなく、西郷軍は北川へと敗走しました。

北川町の俵野に宿陣をはった西郷は、ついに薩軍解散の命を出し、陸軍大将の軍服を裏庭で焼いたと言われます。

その後、可愛岳突破を敢行し、鹿児島に辿り着いた西郷は城山で自決し、西郷軍は崩壊しました。

北川町の俵野で解散をし、薩軍最後の宿陣となった児玉熊四郎邸は、昭和8年12月5日に史跡として県指定を受けており、現在も、西郷隆盛宿陣跡資料館として、西郷隆盛の遺品やゆかりの品々を展示しています。

【西郷隆盛宿陣跡資料館動画】

【西郷隆盛宿陣跡資料館写真】

◎資料写真

◎館内写真


明治10年8月15日の和田越え決戦に敗れた薩軍幹部は15~17日と西郷の宿である、ここ児島熊四郎宅に集まり、最後の軍議を開きました。 周囲を完全に官軍に囲まれた状況下でえ、この地で決戦か降伏か、また、どの方向に向かう突囲かで激論となりましたが、西郷が「まず可愛岳を突囲し、三田井に出る。それからのことはまた考えれば良い」と決断を下しました。この場面はその時の様子を再現したものです。(案内板より)

◎外観写真

>>その他の写真はこちら



【西郷隆盛宿陣跡資料館レポート】

西郷どん(せごどん) 西郷隆盛宿陣跡資料館レポート
大河ドラマが始まる前には行っておきたい!と思っていたので急遽撮影に行ってきました!
始めていくので途中道に迷ってしまったりしましたが
なんとか着きました!
着いてみればそんなに複雑な道順ではなかったです。
資料館は思っていた以上にすごく充実していました。
まず広い駐車場!100台くらいは停めれるんじゃないかな?
案内書がきちんとあり、施設管理人の方がいます。
施設は2棟あり
1棟は人形の展示があり、もう1棟は2階建てで1階から2階までびっしりたくさんの資料が展示されています。
かなりの見応えがあります!
もっとはやく行っていれば良かったと後悔しました!
まだ行ってことがない方はぜひいかれてください(^^♪
県外の方もたっくさん来られていました!
(投稿者:のべおかん)

【西郷隆盛トリビア】

その① 西郷さんが北川町でそばを食べたという記録があることから、お土産として人気の品です。宮崎県産のそば粉を使った香り豊かなおそばです。道の駅北川はゆまのレストランでも食べることができます。

その② 延岡市は、西郷隆盛が西南戦争当時着用した陸軍大将の軍服のレプリカを製作した。来年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」に向けて観光の目玉にしている。延岡市が、鹿児島県歴史資料センター「黎明(れいめい)館」所蔵品などを参考に、鹿児島市の業者に依頼した。胴回りは130センチ超で、当時の西郷の体格がしのばれる。厚いウールにたて襟、金ボタンが9個ついている。

その③ 2018年のNHK大河ドラマは、林真理子さん原作「西郷どん」
大河ドラマの原作として選ばれた「西郷どん」は雑誌「本の旅人」(KADOKAWA)連載中の作品ということです。2015年11月、延岡市で開催された「オープンカレッジinのべおか(エンジン01文化戦略会議)」に講師として招かれた林真理子先生も西郷南洲翁寓居跡に立ち寄られたようで、資料館内に来訪時「南洲翁寓居跡」前で関係者の方と撮影された写真が紹介されています。

 

その④ 大河ドラマ「西郷どん」で西郷隆盛役の、鈴木亮平さんも 2017年9月に訪問したようです。(鈴木亮平さんのブログ記事参照)

◎西郷隆盛と北川町

商工会観光案内より

●西南の役勃発

明治6年、政変に敗れた西郷隆盛が政界を退き、農業でもするつもりで鹿児島に帰ると、主だった側近達、桐野利秋、篠原国幹、村田新八も職を辞し、相次いで鹿児島に帰って来ました。
鹿児島での西郷は、愛犬を連れて猟を楽しんだり、好きな温泉に入ったりという日々でしたが、時の流れはそんな西郷ののんびりした生活を許してはくれませんでした。
西郷の創設した私学校で起きた私学校党の爆薬掠奪事件が引き金となって、明治10年2月、俗にいう「西南の役」が勃発、ついに西郷も立ち上がらざるを得なくなったのです。
明治10年2月15日鹿児島で兵を挙げると、50年ぶりの大雪の中、攻撃目標の熊本へと行軍を開始しました。

●西郷軍の戦い

熊本では、谷干城司令官率いる政府軍のたてこもる熊本城に総攻撃をかけたものの城を落とすことはできません。城を出た政府軍と熾烈(しれつ)な攻防戦が繰り広げられましたが、3月3日、吉次峠で一番隊長の篠原国幹が戦死、そのほかにも多くの戦死者を出しました。
戦闘は激しさを増し、西郷軍も必死の戦いを挑みますが、数に勝る政府軍の前には力及ばず、ついに3月15日、頼みの田原坂―吉次峠の防衛ラインが分断され、3月17日には田原坂も政府軍の手に落ちてしまいまし

●敗走する西郷軍

政府軍に追われ、右往左往する西郷軍は、4月27日椎葉越えして人吉へ、さらに加久藤峠(えびの市)を越えて、宮崎方面に敗走を続け、5月31日宮崎入りしました。
現在の宮崎市広島1丁目近くの農家、黒木某宅に本陣を置き、約2ヶ月滞在したそうです。跡地には「西郷隆盛駐在の地」として「敬天愛人」の石碑と案内板が建っています。
しかし、そこにもそう長く落ちつくことは出来ず、宮崎を出て都農の報恩寺に一泊した後、延岡まで退却、延岡が官軍の手におちる直前、延岡の大貫に在った西郷は、8月11日五ヶ瀬川を下り、東海港を経て、北川を遡り、翌12日野峰の吉祥寺に入りました。隊士たちも続々北川長井村に集結しました。
8月14日笹首の小野彦治氏方において、西郷軍は最後の決戦となる和田越戦の軍議を開き、この席で、西郷は「明日の和田越戦の指揮は自分が執る」と伝えたと言われています。
翌8月15日、西郷軍は最後の士気を奮いたたせて和田越えの戦場に臨みました。
和田越は、西南の役最後の激戦地としてあまりにも有名ですが、西郷軍三千に対して、政府軍は五万、朝から昼過ぎまで続いた戦闘に善戦はしても所詮勝ち目はなく、西郷軍は再び北川へと退きました。
和田越は、延岡市無鹿町の北側丘陵に当たり、和田越トンネルが抜けています。その入口に「西南の役和田越戦跡」の標柱と、出口には有名な野口雨情の「逢いはせなんだか あの和田越で 薩摩なまりの落人に」の歌碑や案内板が建っています。

●北川での西郷

明治10年8月15日、山県有朋中将ひきいる官軍三万五千と西郷隆盛率いる薩軍三千五百は、最後の戦いとなる和田越の決戦を迎えます。
ここで敗れた薩軍は可愛岳から鹿児島へ抜ける険しい敗走の道しか残されていませんでした。
西郷隆盛最後の本陣となった俵野の児玉熊四郎宅には、薩軍や西郷ゆかりの品々が残され資料館として開放されています。
北川町俵野の児玉熊四郎宅に宿陣をはった西郷は、8月17日、ついに薩軍解散の令を出し、陸軍大将の軍服を裏庭で焼いたといわれます。
その夜、可愛岳突破を敢行(かんこう)。先頭に2人の猟夫と数人の樵夫を道案内に立て、険しい岩場や鬱蒼とした樹木の間をくぐり、傷だらけになっての山越えでした。疲れ切って西郷軍が中ノ越に達したのは18日の明け方であったと言われています。行軍に当たって桐野利秋は細心の注意を払い、追手の政府軍に気取られぬよう「煙草を喫まぬこと、敵に遭遇しても発砲せぬこと、談話せぬこと、道標として先頭のものは木の枝に白紙を結んでいくこと」という戒めを守らせたそうです。

●西郷隆盛の最後

鹿児島にたどり着いた西郷隆盛は、9月24日、城山で自決、西郷軍は崩壊しました。日本最後の内戦と言われた西南の役も、ここに終止符を打ったのでした。
現在、鹿児島市上竜尾町にある南洲墓地には、西郷隆盛はじめ二千四百余名にのぼる戦死者の霊が眠っています。

【西郷隆盛宿陣跡資料館情報】

開館時間/ 午前9時~午後5時
休館日/ 年中無休
入場料/ 無料(2017年4月より無料で見学できるようになりました。)

交通情報/
(車)東九州道北川インターより約10分
延岡市中心部より約15分
(バス)宮崎交通バス俵野バス停下車~徒歩3分

住所/ 〒889-0102 宮崎県延岡市北川町長井6727
電話/ 0982-46-2960

【過去情報】
入館料:一般200円・小中学生100円 ※2017年4月より無料で見学できるようになりました。
定休日:年末年始(12月28日から1月3日) ※※2017年4月より年中無休となりました。


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[記事公開日]2018/01/07
[最終更新日]2018/01/14


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